現代大学生奮闘記〜21歳の思うこと〜

長崎という地方大学生の奮闘記。大学生だからこそかけることを書きます

心は風情にゆらぐ

風が植物にもたらすゆらぎと、情が人間の心にもたらすゆらぎが似ている。むしろ、風に理性というものをつけたものが情ではないのか。つまり、「心に吹く風」これが情だ。
風は万物にゆらぎをあたえる。そのゆらぎに耐えようと植物たちは幹を太くし、根を生やしてきた。そうして、で強いゆらぎがきたとしてもそれに耐えうることができるようになる。私たちにおいても同じことがいえると思う。たくさんの情に触れ、心が揺らぐことで、自分の思考という、幹ができてき、信仰の根を生やす。その心の気の目指す場所こそが目標なのではないか。その風は、強すぎるとせっかくついた火を消してしまうし、また適切であればその火をより強くする。この適切具合が難しいんだが、難しいが故に個々でその具合が異なるのだろう。人間はそうそうな風ではびくともしない。それで揺らぐのは小さな植物だけだ。
だからこそ、強い情には激しく揺らぐ。これこそが、サンボマスターのライブや松岡修造さんのよくわからないけど応援したくなる。なんか、好きの。理由なのであろう。
風は科学的には、高気圧、低気圧の差によってできるものである。その高低差があるからこそ、風は発生する。人間界においては、それらはあらゆることに置き換えられる。それは道徳的と非道徳的だったりそんなことを体験したときになんらかの風が起きるのではないか。決してこれらだけで情の構造を理解したとはさらさら言えないが、一つの側面は見えたような気がする。

論理的な話し方の極意 斎藤 孝さん

本書のタイトル通り、論理的な話し方とは?

をかなり論理的に書いた本だった。

 

日本語と論理を組み合わせる難しさや、私たちの身近な例をとって、わかりやすく説明している。論理をあまり理解できていない僕にとっても大変理解しやすい本であった。

 

例えば、ビートたけしさんや、所ジョージさんを例にとって、全体の繋がりの意識からトークを成り立たせている。それは論理によって紡ぎ出されたものである。たしかに彼の方たちのいうことには確かにっという納得感があるし、話うまいな〜と思ってしまう。

このことを、マツコさんや有吉さんのもつ共同主観性や本質直感力を絡めて例示されており

非常に読みやすかったんです。

 

おすすめです。

 

また、その論理力を鍛えるために、日頃から論理のツッコミを意識すればいいことや、飛躍にきおつけて過ごしておきなよ〜と

これから過ごす上で、とてもいい教訓となった。

 

さらに論理を強化するための例として

田中角栄さんを挙げており、角栄さんが大事にしていた、

数字を出せ!

話の中に必ず数字を入れろ!

こうすることで、味のある両側で感情を揺さぶりつつ、数字で裏付けをして、納得いく、論理で話していたんですな!

自分も心がけようと思ったですねー

 

 

ありがとうございました。これに限る

人生は人を知ることでより豊かになる。

 

長崎で、井の中の蛙と化していた僕は先日京都で開催された、素晴らしいシンポジウムに参加させていただき、自分の可能性が開き、自分の思考が洗練され、目指すべき道が微かながら目に見える形になって来たように思えました。

 

それもこれもそのメンバーのおかげでございます。ありがとうございました

 

まぁ、こんなところでそれを言ったとしても、何してんだ、と思いますが、思いを連ねて、書き出すことで、さらに自分の考えがまとまると思い書いています。

 

今回のことで学んだことは3つあります。

1つ目は、真理へのアプローチの仕方が1つではないということ。

2つ目は、人の意見を聞くことで、自分の無知を知れたこと。

3つ目は、先輩方の未来を切り開こうとする強さを感じれたこと。

 

1つ目について

今までの私の知見では真理と呼ばれるものへのアプローチの仕方は人間哲学を用いた弁証法のやり方でしかいい解というものが出せずに、まあそれ以外にはないものとして考えていました。ですがそれは全くの見当違いであり、人間皆、同じ人がいないように真理への近づき方も人それぞれだということがわかりました。哲学といっても、デカルト的な方法(自分はまだ理解できてませんが)、パスカルの考えいうと、組織論でゆうと、はたまた、数理哲学というものもあるくらいですから、お前はまだ蛙だ!と他者に言われているような感覚でした。色んなことを学びたいと思いました。

 

2つ目について

『人と意見が違うな、と思ったらこの人合わないから、どうでもいいや。ではなくて、そんな人でもどこかは同じところがきっとあるから、その同じところを探して、そこに、自分の意見を合わせて、新しいものを、2人で客観視して、話す』これは今回のシンポジウムで僕が最も印象に残っている一言です。これまで僕は人をすぐ、自分の価値観で切り離したり、諦めて話を聞かなかったりしました。それでは僕が好きな人間の思考についてや、多面的な物事を考えることはできないな、と思いました。

ある程度、これはこうだろうなってことについても、どうやら、まだまだ僕の知らないことがあるようです。論語の一説にもあるように「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為す。是れ知るなり」

知っていることを知っているとし、

知らないことを知らないとする。

これが知るということである。

この言葉が少しは理解できた気がします。

もっともっと精進します。

 

3つ目に関して

世界で1番の醜い生き物は人間である

そう考えているわたしにはどこか人間という生物に対して、諦めていたのです。また、これほどまでに素晴らしい人たちもそのことはどこかわかっているようでした。それでもなお、未来のことを見ている。そして、自分自身の力で切り開こうとしている。その姿に私は心を打たれました。己の無力さに萎え、世界を空虚なものとして捉えていた私にはそれが、とても眩しく、かっこよく見えました。僕もこんな人たちと働いてみたい。心から思えました。

 

最後にシンポジウムを終え、各個人で、これから自分がどうありたいか、紙に書いたときに、これだ!!!!

と、僕の心にズドンと響いた、シンポジウムの代表の言葉を紹介して、終わりといたします。

 

                  創造と調和の神であれ。

 

大切なものは?

あなたは何のために生きますか?

日頃、仕事、仕事に追われて、なかなかじっくり考えることもないのではないのでしょうか?

僕、そうハタチのぼくは

よくこのことについて、考えます。

そこで思うことを伝えたいとおもいます。

 

ぼくは、昔からおばあちゃんが大好きで、何だかあのあたたか〜い雰囲気が大好きだったんですよね。

 

でも、僕たちが過ごしてる、社会ではあいつには負けるな、頑張れ!今頑張れば何とかなる。

そこに自分の意思はないのです。

誰かに言われて行うか、周りを見た感じこれをした方が善いと思い、やるのです。

ぼくはこれにすごく違和感を感じていました。

みなさんはどうですか?

だれでも一度はあると思います。

 

今日はその1つの答えになるのではないかっと思う。

第40代、アルゼンチン大統領

ムヒカさんの言葉です

『今の人々は消費に囚われている。そのせいでもっともっとと、自分の大切な時間をお金のためだけに使っている。かのエピクロスセネカアイマラ人たちが言うには、貧しい人とは少ししか物を持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しないことです。』

 

みなさんはどうですか、自分が欲しいものだけをおって、大切な周りの家族や友人、さらには他の生物や自然の大切を忘れていませんか?

 

どうやら、この大事なことを今の人々はわすれてしまったような気がします。

昔の人は、物なんかなくても、木1つで詩を作ったりして楽しんでいました。

それが美しいと。

 

こんなことを美しい、楽しいと思えることが大切なのではないのでしょうか?

 

『うつくしいものを美しいと思える

あなたのこころがうつくしい。』

 

あいだみつをさんの言葉をお借りしました。

 

ぼくももっともっと考えます。

みなさんも、一緒に考えて、意見を聞かせてもらえれば嬉しいです。

長文、最後まで読んでいただき

大変ありがとうございました。

 

人として生きる

人間は世界で最も醜い生き物だ
思考という最強の武器を手に入れ、言語とゆうものを手に入れ。地球を侵略して来た。今地球は悲鳴を上げている。オゾン層は1人地球上の生物を守っている。太陽は私たちを温めてくれている。そんなとき、我々人間さ何をしているんだ。
人類がどうすれば幸せに生きれるのか。これを、ゴールに日々努力をしている。我々が目指すゴールは人類が幸せになることなのか。人間というものが生まれ、ここまで他の動物たちを、侵略して来たのに、それに関して、感謝の念も自責の念も何も思わないのか。思考という、人間だけに与えられた神秘の力は人が幸せになるために与えられたのであろうか。私はそうは思わない。この神秘の力を使って目指すべきは、地球全体全ての生物の幸せを目指すべきなのではないのか?力を持つものが、その種だけの発展だけを考えた結果が、今の世の中ではないのか、人々はもう一度考えなければならないと思う。ビジネス、ビジネス。これが人々の役に立つから。それだけのために生を尽くすことは醜いものではないか。今この地球で、大気と他の生き物と大地によって私たち人間は、生かされている。その感謝を尽くし、生きて行くことこそ、共生ではないのでなかろうか。
人は死ななくなった。そしてその生を全うして行く中で、自然の恩恵を知らずに、恩返しもせずに死んで行く。この行為を続けていたら地球はどうなるであろうか。我々を地球そのものを破滅させる道を歩んでいるのではないか。その結果、自然が耐えきらずいくつかの人を海に呑み込んで行くのだろう。今の人間こそ自然界から見ると不死の力を持った、脅威なのであろう。自然が思想を持つとどうだろう。すぐに土砂崩れを起こし、人々との調和を図りに来るだろう。人は生きた。とにかく生きた。そして、何千年という短い期間で地球を破滅に追いやろうとしている。醜い種族だ。真善美、我々日本人はこの漢字3文字こそを大事にして来たのであろう。今、もう一度考えなければならないと思う。私たち人類が、何のために、生形されたかを。

自己が、頑張らなければならないことは、生きるために必死になることだ。だが、そのに自然に対してフェアでなければならない。それこそが生を全うすることだ。

人々は意思の疎通が簡単である。そのため人は人のために生きる。だがその結果は地球の破滅だ。

人が自然のために生きる。それは意思の疎通はできないが。地球を豊かにそして破滅とか逆に行くのであろう。

長文失礼いたしました。
論理が雑になっているところは申し訳ありません。ですが、心の片隅にでも置いてもらえればなと思い描きました。

人間と自然との共生 地球に生まれたことについて

人間は世界で最も醜い生き物だ
思考という最強の武器を手に入れ、言語とゆうものを手に入れ。地球を侵略して来た。今地球は悲鳴を上げている。オゾン層は1人地球上の生物を守っている。太陽は私たちを温めてくれている。そんなとき、我々人間さ何をしているんだ。
人類がどうすれば幸せに生きれるのか。これを、ゴールに日々努力をしている。我々が目指すゴールは人類が幸せになることなのか。人間というものが生まれ、ここまで他の動物たちを、侵略して来たのに、それに関して、感謝の念も自責の念も何も思わないのか。思考という、人間だけに与えられた神秘の力は人が幸せになるために与えられたのであろうか。私はそうは思わない。この神秘の力を使って目指すべきは、地球全体全ての生物の幸せを目指すべきなのではないのか?力を持つものが、その種だけの発展だけを考えた結果が、今の世の中ではないのか、人々はもう一度考えなければならないと思う。ビジネス、ビジネス。これが人々の役に立つから。それだけのために生を尽くすことは醜いものではないか。今この地球で、大気と他の生き物と大地によって私たち人間は、生かされている。その感謝を尽くし、生きて行くことこそ、共生ではないのでなかろうか。
人は死ななくなった。そしてその生を全うして行く中で、自然の恩恵を知らずに、恩返しもせずに死んで行く。この行為を続けていたら地球はどうなるであろうか。我々を地球そのものを破滅させる道を歩んでいるのではないか。その結果、自然が耐えきらずいくつかの人を海に呑み込んで行くのだろう。今の人間こそ自然界から見ると不死の力を持った、脅威なのであろう。自然が思想を持つとどうだろう。すぐに土砂崩れを起こし、人々との調和を図りに来るだろう。人は生きた。とにかく生きた。そして、何千年という短い期間で地球を破滅に追いやろうとしている。醜い種族だ。真善美、我々日本人はこの漢字3文字こそを大事にして来たのであろう。今、もう一度考えなければならないと思う。私たち人類が、何のために、生形されたかを。

自己が、頑張らなければならないことは、生きるために必死になることだ。だが、そのに自然に対してフェアでなければならない。それこそが生を全うすることだ。

人々は意思の疎通が簡単である。そのため人は人のために生きる。だがその結果は地球の破滅だ。

人が自然のために生きる。それは意思の疎通はできないが。地球を豊かにそして破滅とか逆に行くのであろう。

長文失礼いたしました。
論理が雑になっているところは申し訳ありません。ですが、心の片隅にでも置いてもらえればなと思い描きました。

長崎市のいいところ

皆さんは長崎市に来たことはありますか?

 

長崎。、すげーいいとこなんです

今回は長崎でゆっくりするならここだという場所を紹介したいと思います!

 

1.水辺の森公園

言わずと知れた長崎の名スポット

2004年にはグッドデザイン賞に輝くなど

質の高い公園として有名です!

夜にはデートに特におすすめですよ。笑

 

ってゆう、紹介の練習をしてみた。

意外とやっぱり難しい

紹介すると普通なことしか出てこないことがわかった。笑笑

もっと驚くような紹介の方が確実にウケるよな〜

と思う。今日この頃。