現代大学生奮闘記〜21歳の思うこと〜

長崎という地方大学生の奮闘記。大学生だからこそかけることを書きます

ありがとうございました。これに限る

人生は人を知ることでより豊かになる。

 

長崎で、井の中の蛙と化していた僕は先日京都で開催された、素晴らしいシンポジウムに参加させていただき、自分の可能性が開き、自分の思考が洗練され、目指すべき道が微かながら目に見える形になって来たように思えました。

 

それもこれもそのメンバーのおかげでございます。ありがとうございました

 

まぁ、こんなところでそれを言ったとしても、何してんだ、と思いますが、思いを連ねて、書き出すことで、さらに自分の考えがまとまると思い書いています。

 

今回のことで学んだことは3つあります。

1つ目は、真理へのアプローチの仕方が1つではないということ。

2つ目は、人の意見を聞くことで、自分の無知を知れたこと。

3つ目は、先輩方の未来を切り開こうとする強さを感じれたこと。

 

1つ目について

今までの私の知見では真理と呼ばれるものへのアプローチの仕方は人間哲学を用いた弁証法のやり方でしかいい解というものが出せずに、まあそれ以外にはないものとして考えていました。ですがそれは全くの見当違いであり、人間皆、同じ人がいないように真理への近づき方も人それぞれだということがわかりました。哲学といっても、デカルト的な方法(自分はまだ理解できてませんが)、パスカルの考えいうと、組織論でゆうと、はたまた、数理哲学というものもあるくらいですから、お前はまだ蛙だ!と他者に言われているような感覚でした。色んなことを学びたいと思いました。

 

2つ目について

『人と意見が違うな、と思ったらこの人合わないから、どうでもいいや。ではなくて、そんな人でもどこかは同じところがきっとあるから、その同じところを探して、そこに、自分の意見を合わせて、新しいものを、2人で客観視して、話す』これは今回のシンポジウムで僕が最も印象に残っている一言です。これまで僕は人をすぐ、自分の価値観で切り離したり、諦めて話を聞かなかったりしました。それでは僕が好きな人間の思考についてや、多面的な物事を考えることはできないな、と思いました。

ある程度、これはこうだろうなってことについても、どうやら、まだまだ僕の知らないことがあるようです。論語の一説にもあるように「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為す。是れ知るなり」

知っていることを知っているとし、

知らないことを知らないとする。

これが知るということである。

この言葉が少しは理解できた気がします。

もっともっと精進します。

 

3つ目に関して

世界で1番の醜い生き物は人間である

そう考えているわたしにはどこか人間という生物に対して、諦めていたのです。また、これほどまでに素晴らしい人たちもそのことはどこかわかっているようでした。それでもなお、未来のことを見ている。そして、自分自身の力で切り開こうとしている。その姿に私は心を打たれました。己の無力さに萎え、世界を空虚なものとして捉えていた私にはそれが、とても眩しく、かっこよく見えました。僕もこんな人たちと働いてみたい。心から思えました。

 

最後にシンポジウムを終え、各個人で、これから自分がどうありたいか、紙に書いたときに、これだ!!!!

と、僕の心にズドンと響いた、シンポジウムの代表の言葉を紹介して、終わりといたします。

 

                  創造と調和の神であれ。